2015年9月アーカイブ

ご紹介いただきました野仲でございます。

本日は、近藤幸喜君、春子さんの結婚ご披露宴にお招きいただき、ありがとうございます。

新郎新婦並びに、ご両家の皆様方には、心よりお祝い申し上げます。

今日は、新郎新婦のお二人の幸せそうな笑顔を拝見しまして、私も例えようのない喜びを感じております。

近藤君とはもう一二年間、同じ商品開発課で机を並べておりまして、すっかり気心の知れた仲ですが、このような晴れやかな笑顔を見るのははじめてという気がいたします。

彼にこのような明るい笑みを与えてくださったのは、ご新婦の春子さんのお力でありましょう。

同僚の私からも、感謝の言葉を申し上げたいと存じます。

彼には現在の幸福をつかむまでに、孤独との闘いに耐えてこられた時期もありました。

その頃、私も彼のことが気がかりで、それとなく再婚をおすすめしたことも何度かあったのですが、「一人のほうがいいんだ」と強がりを言って、首をたてには振っていただけなかったのです。

かし、彼のような誠実ないい男のためには、やはり縁結びの神様はちゃんと働いてくれました。

ようやく落ち着きを取り戻された頃を見はからって、こんなにも明るく可愛らしい春子さんという女性と巡り合わせてくれたのですから。

お二人は、まさしく結ばれるべくして結ばれたのだと思います。

近藤君の孤独を耐え忍ばれた一時期も、じつは春子さんとの出会いのための準備期間だったのではないでしょうか。

お二人はここに結ばれ、全てをゼロからはじめるとの決意で、新しい生活に入ります。

まことに喜ばしい限りと存じます。

近藤君には、春子さんの天衣無縫な明るさが元気の素であり、また春子さんには近藤君の強い精神力が頼もしい支えとなるでしょう。

どうぞこれからも、お互い信頼し合って、堅固な絆に守られたご家庭をお築きください。

そして、困難がある時には、お二人の力を合わせて立ち向かってください。

お二人の人生が末永くお幸せであることを祈りまして、私の祝辞とさせていただきます。

幸一郎君、ミーアさん、ご結婚おめでとうございます。

ミーアさんはフィリピンから、よくぞこの山原村に来てくださいました。

村を挙げて歓迎しております。

そして、ご両親、ご家族の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

農村に嫁の来手がないとマスコミでも取り上げられるようになってからずいぶんたちます。

当時は、都会の娘さんたちと集団見合いをしたり、嫁探しに出かけたりと苦労しましたが、いい結果は得られませんでした。

都会の人にとって、やっぱり農家に嫁ぐということは、生やさしいものではなかったようです。

日本国内でさえ、都会と農村にはカルチャi・ギャップがあるのですから、フィリピンから来られたミーアさんにしてみれば、もっと大きな文化の違いに驚かれることもあると思います。

でも、私はそうでもないと思っています。

数年前、私はフィリピンに旅行しましたが、はじめて訪れたのに陵かしい感じがしたのです。

インドに行った時もそうでした。

子供たちは裸足で駆け回り遊んでいるかと思えば、大人顔負けの働きもする。

機械ではない道具を器用に使いこなし、水と布を使ってせっせと仕事をする。

牛や馬が当たり前のように町中にいて、土の道に野菜のくずを捨てても牛たちの餌になり、やがて土に同化する。

また、夜になるとぱっと停電もする。

私は、これは日本の昔の姿だと思って、非常に懐かしくなりました。

この体験を通して、今は文明の嵐に飲み込まれてしまって忘れてはいますが、日本もアジアの一つだったのだと、あらためて気がついた次第です。

私は少年たちの器用な手つきを見て、亡くなったばあちゃんの手つきを思い出しました。

日本もフィリピンも、同じアジアの人間だと思えば、こんなに近い親戚はないのではないかと思っています。

ミーアさんも、日本の農家の習慣に慣れるまでは大変でしょうが、幸一郎君も、家族も、村も、大きな家族のようなものですから、心配しないで、ゆっくりといろいろなことに慣れていってください。

そして、幸一郎君と一緒に、彼が育ったこの村を愛していってください。

私たちも、お二人がお幸せに暮らせるよう、精一杯応援します。