2014年10月アーカイブ

私たちは何かを決めるときに、単にネガティブな結果が出るのを避けようとしているだけのことがあります。

それは結婚前のカップルの間のことでも同じで、そういう理由で物事を決めると事態はますますおかしくなって、不満足な状態がさらに続くだけになります。

何かの決定をするときには、ネガティブなことを避けるためではなく、ポジティブな結果を求めて決めるよう努めましょう。

デートをするようになってから数週間のうちに一緒に住み始めた若い男女がいました。

男性には衝動的なところがあって、その素早い決断にも自信たっぷりでした。

まもなく彼らは婚約し、数カ月後には結婚式をあげました。

結婚後、初めのうちはよかったのですが、まもなく男性は、細かいことにうるさい奥さんに束縛感を感じるようになってきました。

なんでもきちんとしていないと気がすまない性格の女性に対して、男性はどちらかというと大ざっぱで自由を好むタイプだったのです。
「やはり、十分に相手のことを知らないうちに結婚を急いだのが裏目に出た」と男性は感じました。

それでも二人は、しばらくの間はなんとか一緒に暮らしていました。

二人とも幸せではなかったにせよ、別れようとまでは考えなかったのです。

ローンで家も買ってしまったし、いまさら友人や家族に「結婚したのは間違いだった」とは言えません。

特に、「あまり急がないほうがいい」と忠告してくれた人たちには「だから言ったじゃないの」と言われそうで、うまくいっているようなプリをしているしかありませんでした。

二人の破局は、さらに六カ月ほどたってようやく訪れました。

我慢は限界に達し、結局離婚したのです。

ある男性結婚カウンセラーの言葉

ある男性結婚カウンセラーは、カウンセリングに訪れるカップルに対して、「たとえどんなに忙しくても、時間とエネルギーを作り出して、相手に対する興味を失わないように努力しなさい」と説いています。

愛というのは、意識的にそういう努力をしない限り育たないというのです。

そのためには、相手の気持ちを察することを日常生活の一部にしてしまい、たとえケンカをしているときでも、そのことを忘れないようにすることが大切だと彼はいいます。

この男性結婚カウンセラーによると、そういう行為は二人のよい関係を維持するために必要な投資のようなものであり、そこには自分を犠牲にする精神が含まれていなければならないということです。

なぜなら、カップルというのは"同士"のようなものだからです。

ここでいう"犠牲"とは、「自分はやりたくなくても、それで結婚相手が幸せになるのならやる」ということです。

「ケンカして腹が立ったからといって、心を閉ざして口をきかなくなるというのは一番まずいんです。

それは自分たちに投資するのをやめてしまうということですよ。

石のようになった人を愛せる人はいません。

たとえ難しくても、心のまわりに砦を築かず、お互いに相手に対して傷つきやすいままでいることです。

意見の衝突やケンカというのは、うまく処理できれば、結婚後の2人をさらに強く結びつけるために役立つのですから。

そのためには、問題にばかり注目して衝突を拡大するのではなく、問題を解決させることのほうに注目することです」と彼は言っています。